自己紹介:悪魔祓い映画マニアが転じてクリスチャンへ

自己紹介&はじめに。

こんにちは。もぐらと申します。
夫と子どもと暮らす主婦で、仕事はIT関係です。

このブログでは、日本で生まれ育った主婦がクリスチャンになった経緯(証)、スピリチュアルから脱したときの発見、クリスチャンとして生きると決めてからの日々を綴っていきます。

40歳すぎて聖書を読んでみると、
人間の原理原則が書かれてあることに目から鱗。

人生をバイブルと一緒にパワフルに生きていきたい!と思っております。

もぐらとは、西洋ではキリストを知らない人=盲目的に彷徨っている人を表す時にも使われるそうです。

このブログで伝えたいこと

☑️ 悪魔祓いを題材にしたドラマや映画を観てクリスチャンになった話
☑️ 途中、スピった時期もあったけど離脱。なんで辞めたか
☑️ 聖書とともにある生活と気づき、時事ネタ

という話を中心としていきます。

悪魔祓い好きからクリスチャンになるまで

悪魔祓いを描いた映画では、
人の行いの中に悪魔に扉をあける表現がよく登場します。
それがすごく気になったのです。
人間側の行動によって、悪魔に取り憑かれてしまう。そのシステムが知りたいと思いました。

たとえば、
☑️ 傲慢、プライド、昂ぶり
☑️ 偶像崇拝、占い、霊媒
☑️ おそれ、恐怖

これらは聖書的には「罪」とされている行いなんですね
聖書を読んでいなかったときはこれらを知りませんでした。

聖書的な「罪」というのは、殺人や窃盗みたいな犯罪行為だけでなく「的を外す」って意味があるらしい。


神様は、人が幸せに生きていくために、
「的外れなことしているよ、そっちとちゃうよ」というパターンの行動を聖書に残してくれているのです。

例えば、罪悪感、自分を責める思い、あたりまえに湧き上がる感情もいつまでも抱えていてはいけない。

そして傲慢、偶像崇拝、恐れなど(他にもいっぱいある)については、
旧約聖書の時代から神様が嫌いな人間の行いとして、聖書に何度も書かれています。

知らなければ、占いとか普通にテレビでやっているし、身近になってしまうよね。
取扱注意のものがこの世には溢れているんですね。

例:小さな少女が寂しさから西洋式のコックリさんに手を出してしまって、おっさんの悪魔に扉を開いてしまう・・・そんなシーンがありました。

これまでの経緯まとめ(時系列)

5年前:映画好きの主婦
 ↓

悪魔祓いジャンルのホラー映画・海外ドラマにはまる
 ↓

人間が不幸になる仕組みがあると知る
 ↓

悪魔祓いに憧れる
 ↓

聖書に興味を持つ
 ↓

道を外す:日本のスピリチュアルな文化に傾倒する
 ↓

スピ2年やって体調を壊す(スピと体調との関係は後ほど書きます)
 ↓

悪魔祓いを題材にした映画がきっけかで救われてクリスチャンになる

次は、悪魔祓い映画で描かれている、
なんで悪魔はキリストが怖いのか、という点をもっと詳しく書いていきたいと思います。

信仰の有無や、そもそも何を信じるかは人ぞれぞれ。このブログは、聖書を必要としている人に届けば良いなと思っています。

聖書の勉強不足は多めに見ていただけるとありがたいです。考えすぎるより発信して、何かのきっかけになればと思います。