クリスチャン家庭で育ったものの、神さまとの関係性に気づけず、恐怖ベースでの信仰だった幼少期を経て、聖書への疑問を拭えず、大学進学、そしてスピリチュアルに傾倒した女性の証しの動画です。
キリストを受け入れたのは、アメリカから離れ、仕事で赴任した異国の地、韓国。
なんと、日本のしゃぶしゃぶの店で同僚と話しているときに腑に落ちたとのこと!
「人は関係性の中で生きるもの」という考えが素敵だと思いました。
素敵なストーリーだと思ったのでシェアします。

証しのまえに
(以下翻訳文)
私の名前はメラニーです。今日は私のチャンネルにお越しくださり、本当にありがとうございます。今日の動画のタイトルを見ていただければわかるように、今日は私の証し、スピリチュアルジャーニーについてお話しします。ニューエイジの信仰を実践していた、というか実践というよりは、信じていたところから、今のように神様との関係を持つようになるまでの道のりをシェアします。
イエスを知り、その存在をもはや疑わなくなり、神様を「宇宙」とは呼ばなくなり、どのようにここに至ったか、神様が私の人生に現れてくださったときのこと、その間に起こったすべてのことをお話しします。
正直なところ、この動画を作るのは少し迷いがありました。なぜかははっきり分かりませんが、とても脆弱な気持ちになりますし、なぜ神様が私にこのことをシェアするように強く促しているのかも分かりません。でも、今の私の人生のこの季節を通して、いやむしろ私の人生全体を通して、私は神様が導くことに従いたいと思っています。
ですから、今の私にとっての従順とは、この動画を作って、私の経験と旅路を皆さんに分かち合うことなのです。というわけで、前置きはこの辺にして、早速始めていきましょう。では、この物語の最初からお話しします。
幼少期の話
私はフロリダ州オーランドで育ちました。子どもの頃から教会に通っていました。母は私たちを教会のユースミニストリーに参加させてくれていて、私の子ども時代のほとんどは教会の中で過ごしました。
その教会では、毎週日曜日に子ども向けの別の礼拝がありました。今振り返ると、子どもの頃の教会の経験はとても「恐怖ベース」だったと思います。地獄に行くのが怖かったのを覚えています。
地獄の説明は「骨を折る痛みを永遠に繰り返すようなもの」とされていて、私は骨折したことはありませんが、足を折る痛みを考えるだけで怖かったんです。だから、もし週の間に何かイエス様に背くようなことをしていたら、先週の日曜日に救われたことが無効になるかもしれないと思って、毎週手を挙げていました。
今振り返ると、それはすごく恐怖に基づいた信仰でしたが、そのときはそれが普通だと思っていました。ちょうど中学から高校にかけて、私の人生にはたくさんの変化があって、キリスト教についてもたくさんの疑問が湧いてきました。イエス様についても疑問がありましたが、それを誰にも聞けなかったんです。やっと誰かに聞けたときでも、その答えは私をますます神様から遠ざけるようなものでした。
納得できない問いを抱えていた
大きな疑問の一つは、「福音を聞くことのない場所に住む人たちはどうなるの?」というものでした。そういう人たちも地獄に行くのか?
それを教会のプログラムに来ていた牧師さんか説教者に聞いたことがあります。
その人の答えは「彼らはただ知っているべきだ」というものでした。中学生の私でも「それっておかしくない?」と思いました。彼は「太陽や月や空や星を見て、世界のすべてを見て、神様がそこにいるとわかるべきだ」と言いましたが、それは私には全く納得がいきませんでした。
それは私には全く納得がいかないことで、頭の中でどうしても理解できませんでした。しっくりこなかったし、もし神様が本当にそういうことを私たちに期待しているのだとしたら、そんな神様のことはよく分からない…と感じていました。
ちょうどこの頃、疑問がどんどん増えていく一方で、それを誰に聞いたらいいのか分からないし、誰かに聞けても、その答えは私にとってしっくりこないものでした。そしてその時期、私の人生も大きく変わろうとしていました。両親が離婚することになったのです。
離婚は家族全員にとって本当に辛いものでした。私の人生は一変しました。私はそれまで私立のクリスチャンスクールに通っていたのですが、公立学校に通うことになりました。家族の関係も大きく変わりました。
(中略)
そんな生活が続いたまま、大学に行くことになりました。大学に行ったとき、そんな過去の経験をすべて引きずりながらも、正直言うと、私の頭の中には神様のことなんて全くありませんでした。自分のことを楽しみたい、それだけでした。
私は自由だ、何でもできる、と思っていました。それで、タバコを吸い始め、お酒を飲み始めました。真剣な交際も始めて、セックスもしました。そして、そういうことにどっぷりとハマっていきました。大学1年の最初の学期が終わる頃には、友達のほとんどが、私たちが薬物関連で関わっていた活動が原因で、退学か停学になっていました。
(中略)
聖書への疑問は友達との会話の中で解消
「私は地獄に行かない。でもやっぱり地獄に行く。私は地獄に行かない。でもやっぱり地獄に行く。私は地獄に行かない。でもやっぱり地獄に行く。私は地獄に行かない。でもやっぱり地獄に行く。」
…そんなふうに、頭の中で繰り返し渦巻く思いに、何の意味があるの? これは何なの? そういう疑問が、神様の方を見ようとする気持ちすら遠ざけていました。そんなことをする神様なんて、残酷だと思っていたし、そんな神様とは関わりたくないとも思っていたんです。
でも、その時に神様は、私にとって本当に特別な贈り物をくれました。それは、かつて宣教師だった友達でした。彼女は人に答えを与え、対話し、イエス・キリストへと導く訓練を受けてきた人でした。そんな彼女が友達としてそばにいてくれて、さらに同じ町に一緒に住むことになったのは、本当に神様の導きでした。2015年春の私たちのプログラムでは、他に300人の外国人教師がいましたが、神様は私たちを同じ町に住まわせてくださったのです。
そして、ある日、教会の帰りに彼女が私に言った一言が、私の人生を変えました。彼女は「これは宗教の話じゃない。これは神様との関係の話なんだよ。神様はただ、あなたの人生に招かれることを望んでいる。神様はあなたと一緒に人生を歩みたいと願っている。それだけなんだよ」と言ってくれたんです。
その瞬間、私は「それならできる。私もそうしたい。誰かと一緒に人生を歩みたい。それだけのことなら、私にもできる」と心から思いました。そして、そのときから私の人生は変わりました。
私は「神様をもっと知りたい」と思うようになりました。それまでにないほどの平安を感じていました。そして神様が私を深く愛してくださっていることに、少しずつ気づいていったのです。自分の人生を振り返ってみると、すべてに神様の御手があったことが分かるようになりました。
ニューエイジの活動を振り返って
本当に神様との関係に入ったとき、私ははっきりと気づきました。ニューエイジでは私が求めていたものは得られなかったのだと。なぜなら、そこには神様がいなかったからです。
ニューエイジは、私自身を私の人生の「神」にしました。自分の人生の成功や失敗は、私が自分の思考をどれだけ上手くコントロールし、同一化しないでいられるかにかかっている…そんな世界でした。そこには、何の「関係性」もありませんでした。
でも、人間というのは、関係性の中で生きる存在です。まず神様との関係、そしてお互いとの関係があってこそ、本来の自分らしくいられるのです。そういうことは、神様に出会うまで、私はまったく知りませんでした。正直に言うと、アイリーン(友達)がそのことを教えてくれるまで、知らなかったんです。
私が意識的にキリストと共に歩むようになって、もう5年が経ちます。子どものころのように、ただ教会に行くのではなく、今は「意図的に」信仰を選び取って歩んでいます。そして私は分かっています。これはまだ始まりにすぎない。私の願いは、この動画が誰かを励ますものであってほしいということです。神様は常にあなたを追いかけてくださっていて、あなたが何と呼ぼうとも、いつでもあなたを迎え入れる準備があるということを知ってほしいです。あなたが「神様はここにいる」と認めるそのときを、神様はいつも待っていてくれます。
はい、こうして皆さんとシェアできて本当に良かったです。神様の愛にただただ感謝しています。神様の愛だけが、人を変える力を持っているのです。なので、最後までこの動画を見てくれて本当にありがとうございます。
私の心には、神様との関係についてシェアしたいことがまだたくさんあります。神様がそれを私の心に置いてくれたのには、きっと意味があると信じています。そして今の私の人生のこの「季節」において、私は神様に従いたいと願っています。
そんなわけで、また次の動画でお会いしましょう。みなさん、本当にありがとうございました。
(全体は動画で)