引き寄せの法則はどうして危険?「自分が創造主になることの重圧」ニューエイジ、ペイガニズム、スピリチュアル|証し

今回は、”脱スピリチュアルした方の証言動画”を紹介したいと思います。

幼い頃から見えない世界に興味を持ち、ニューエイジ(宇宙意識、引き寄せの法則など)に傾倒した方が、深刻なうつ状態となり、そこに至るまでに何を経験し、考え、どうやって救われたのかをまとめた証言の動画です。

重要なテーマは引き寄せの法則、ニューエイジ。引き寄せの法則は、日本でも多数の書籍があるかと思いますが、

「結局、引き寄せの法則ってどこからきたもの?」という謎に迫る内容です。

クリスチャンかどうかは関係なく、引き寄せの法則の側面がわかる内容になっていると思い、シェアしたいと思います。

ニューエイジからキリストに出会うまでの証し(Testimony from the NEW AGE to finding CHRIST)

ここから動画の翻訳文)

みなさん、こんにちは。これは、私がニューエイジから抜け出し、イエス・キリストを見つけた体験談です。

正直、皆さんの中には「え、聖書とかイエスとか、頭がおかしくなっちゃったの?」と思う人もいると思います。わかります。私も少し前までは同じでしたから、本当によくわかります。

でも、私がイエスを見つけるまでの旅を、子どもの頃から今までを順を追って話したいと思います。

人間の真実を知るためにスピリチュアルを頼った幼少期

子どもの頃、私はいつも「なぜ私たちは存在するの?どうやってここにいるの?」といった深い疑問を持っていました。世界を見回しては「これってどうやってできたんだろう?」と考えていたのです。

魔術、ウィジャボード(コックリさん)に携わる

けれど、どこで答えを探せばいいかわからなくて、結局「一番スピリチュアルな理解」と思えたものに手を出してしまいました。それが、幼いころ(たぶん8歳か、もっと小さいとき)から、魔術やウィッチクラフトに関わることになった理由です。

おまじないや呪文をたくさんやって、神殿(祭壇)を作ったりして、完全にその世界に浸っていました。そして確かに、霊的な世界が存在するという確信を得ました。少なくとも、私にとっては「悪霊に襲われた」という感じでした。

今でははっきりとわかるのですが、当時は天使かもしれないとも思っていたけれど、明らかにそうではなかったです。暗くて、私にまとわりつく存在がいて、床に押し倒されたり、耳元で叫ばれたり、本当に霊的な存在に襲われていました。

家族もそれを目撃したことがありました。あるとき、寝室にいたときに屋根裏で足音が大きく聞こえて、私のベッドをぐるぐる回るように歩き回るのがはっきりと聞こえて、私はパニックになって親の寝室に駆け込んだんです。すると、足音はそのまま屋根裏を移動して、親のベッドの上をぐるぐると回りました。親たちも恐怖に震えて、当時の継父が屋根裏を釘で閉じました。もちろん物理的なものは見つかりませんでした。原因は、私が触れてはいけないものに手を出していたからです。これは本当に後悔しています。

状況はますますひどくなり、ウィジャボードにも関わるようになりました。霊が私の中に入ってきて、友達もそれを目撃して、物が勝手に動いたりして…。とにかく、あまりにトラウマチックで、完全にやめました。スピリチュアルなものすべてを拒絶しました。それが悲しかったのは、本当は神を探していた心をも、同時に閉ざしてしまったことです。今になって思うのは、あの霊的な世界の存在は、キリストを探させないようにするのが目的だったということです。私の場合、その策略にまんまとはまって、スピリチュアルなものすべてを拒絶してしまいました。

クリスチャン家族との出会い

その後、大学に入って、サイケデリックドラッグを試したりしました。そうした薬を使ったとき、すべてがつながっているように感じたり、すべてが一つで美しいと感じる体験をしました。同時に、20歳のときにアメリカの家族を訪れました。4歳のとき以来初めて会う家族で、大きな出来事でした。家族はみなクリスチャンで、神を探している姿勢に感動しました。それは素晴らしいことだと思います。だから、聖書の話を夜通し聞かされても、私はちゃんと耳を傾けました。でも、心の中では完全に受け入れることができませんでした。どこかに抵抗が残っていたのです。

ただ、そのとき心が弱っていたので、家族の影響で神に祈りました。「神さま、助けてください」と。すると、本当に不思議な体験が起きました。私は自分の体から完全に抜け出してしまったんです。自分が人間だとか、地球にいるとか、そういう感覚がすべてなくなって、ただ愛そのものの世界に連れて行かれたような感じでした。すべてが一つにつながっている「かなめ石」のようなものがあって、とても美しかったです。あのときは泣いて、神さまが見せてくれているんだと思って感動していました。

「神は誰か」という回答が得られず、引き寄せの法則に傾倒

その体験のあと、自分の体に戻ったとき、神さまの存在を疑わなくなりました。「神さまがいるのは確かだ」と確信しました。試しに「神さま、もしよかったらこれを見せてくれますか?」とお願いしたことが目の前で本当に起きて、また泣いて感動しました。でも、この体験が別の方向にも私を引っ張っていきました。

神が愛だと確信したのはいいのですが、でも「神が誰か」という答えは得られなかったのです。そのため、ますます「愛と魔法のスピリチュアリティ」に引き寄せられていきました。ペイガン的な儀式をまた始めるようになり、「すべては一つ」というフラクタルの法則や、宇宙の美しさを語るようになりました。そして「ザ・シークレット」や「引き寄せの法則」にものめり込むようになりました。

引き寄せの法則の危険性とは?

でも今思うのは、あれは「創造主」ではなく「創造物」を崇拝していたということです。私たちは神の子であることは確かですが、「私たちも創造主だ」という考え方、つまり「自分が望んだものを引き寄せられる」というのは、非常に危険です。なぜなら、うまくいかなかったとき、自分がすべての責任を負うことになるからです。自分が神だと信じ込もうとするプレッシャーは大きすぎて、潰れてしまう人も多いと思います。私も「ポジティブな思考さえすれば大丈夫」と思い込んで、失敗するたびに自分を責めていました。これが本当に苦しくて、自分が自分の敵になっていきました。最終的に、深刻なうつ状態になり、自殺を考えるまで追い込まれました。

幸い、母が私を助けてくれました。母は私を家に迎え入れ、愛情を注いでくれました。当時、母が聖書を読んでいたのが衝撃でした。母は特に信仰深い人ではなかったので驚きました。でもそれで、私もまた祈るようになりました。というのも、そのとき、もう何も残っていなかったんです。完全に壊れていました。だから、神さまに「もう自分では探せません。神さまの真実を見せてください」と泣いてお願いしました。

なぜ、ニューエイジやペイガンはキリストを隠すのか?

それで、母がくれた聖書を持って、スペインの洞窟でしばらく暮らしました。神さまが真実を示してくれることを願って。ただ、聖書を読んでも、まだ心から受け入れることができなかったんです。なぜなら、この世は聖書を信じさせないようにあらゆる仕組みがあるから。抵抗がすごくあって、本当に大変でした。

そのとき、友人からスーフィー(イスラム神秘主義)に誘われました。彼らは踊ったり儀式をして、トラウマを浄化し、心を清め、愛を大切にするグループです。これがすごく心に響きました。「神さまが導いてくれたのかも」と思い、深く関わりました。儀式や教えを全部体験しました。でも、クルアーン(イスラムの教典)を読んでいて、ショックを受けたことがありました。そこには「イエスは神の子ではなく、預言者だ」と書かれていて、十字架で死んだのはイエスではなく、実はユダだったとされていたのです。これは私には受け入れがたいもので、自然と強い抵抗感が湧きました。自分の中から湧いてくる感覚で、「これは違う」と思わされました。

その瞬間にふと思ったのです。「なぜニューエイジやペイガンでは、必ずイエスを無視するのか?スーフィーでも、イエスは単なる預言者としてしか見られていない。もし何かを隠そうと必死になっているなら、そこに真実があるのかもしれない」と。

キリストを受け入れる決意をする

そして心からイエス・キリストに降伏しました。「イエスよ、あなたは本当にいる。私たちのために死んでくださった救い主だ。イエスを通してこそ、父なる神のもとに行けるんだ」と。

これが神です。これは、イエスに心から降伏するということです。その瞬間、もう本当に、体のすべての細胞、すべての繊維が歓喜にあふれました。「神様、ありがとう!彼女はついにそれを受け入れた。やっと受け入れてくれた」と、体中で感じたんです。心の中が光と愛で満たされて、過去にスピリチュアルな体験をいろいろしてきたけれど、イエスに心をささげたこの瞬間のようなものは他にありませんでした。もう、これまでの人生でこれほど確かなことはないというくらい、本当にこれが真実だと確信しました。ここには真実がある、ここには愛がある。これは恐れるようなものじゃなくて、イエスが私たちにしてくれたことは本当に美しいことです。

多くの人が「それは恥ずかしいことだ」とか、あるいは「そんなの認められない」とか言われるかもしれない。特に私の友達はみんなペイガンだから、きっと受け入れられないと思うけれど、でも私はどうしてもこれを話さずにはいられないんです。なぜなら、これは真実だからです。愛している人たちにこそ、これを伝えたいんです。

今では聖書をずっと読み続けています。聖書は、人生のすべての面に関わる大切な教えを与えてくれるし、今だからこそ本当に学ぶべきことだと思っています。これは誰かに押しつけたいわけじゃなくて、宗教の話をしているわけでもありません。これは、イエスを通して神と築く「個人的な関係」の話です。私はイエスに祈りをささげていて、彼がそこにいることをはっきり感じます。彼は確かにそこにいるんです。

今でも霊的な攻撃を受けることがあります。人からも、見えない存在からも。でも、いまははっきりわかるんです。戦いがあるのは、誰が私を取り戻すかをめぐってなんだと。私はイエスの名を呼ぶと、そのすべてが消え去ります。彼こそが救い主なんです。私は体のすみずみまでそれを感じていて、いまの私は、イエスに仕えたいと心から思っています。

昔、本物だと思っていたもの、真実だと思っていたものは、すべてひっくり返りました。これは私の力でやったことじゃなくて、自分の外からやってきたものです。以前は愛していたものが、今では嫌になってしまったり…本当に自分の中で大きな変化が起きています。それは、イエスを受け入れたことで、彼が私にたくさんのことを教えてくれているからです。

私だけに起こることではない

そしてこれは、私だけに起こることではありません。これは、すべての人に与えられている神さまからの恵みなんです。だからこそ、これを世界中の人に伝えたいと思っています。私は人々を愛しているからこそ、この大切なことを分かち合いたいんです。

だから、これからもっと動画を作って、この素晴らしいニュースを広めていこうと思っています。本当に、イエス・キリストは私の命を救ってくれました。彼こそが救い主です。たぶん、私の友達の間ではこれで人気がなくなるだろうけれど、でもかまいません。私はイエスと共にいるからです。

どうか、この話がみなさんの心に届きますように。神の祝福がありますように。おわり。


ペイガニズムの参考 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/032500151

以上です。聖書アプリに関しては、日本ではYouVersion Bible Appが日本語で使いやすいと思います。

キリストに関する解釈は、英語圏でもさまざまな解釈がされているので、ここでは参考情報ということでご紹介しました。本来は、人の話を聞くより聖書を開いた方が、スピリチュアルに興味のある方なら刺さる言葉がたくさんあるかと思います。